7月23日, 2004 26号

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コナクリー難民学校の再建

コナクリー難民学校は ギアナ共和国の首都コナクリーに 1995年に 国際救援議会(IRC)の支援により 建設されました。

2000年に IRCからの資金不足のため、コナクリー難民学校は 閉鎖され 約3000人の リベリア 及び シアラ リオンからの難民生徒達の教育が 継続できなくなりました。

校長であったアイザック F. デービス氏は 生徒たちが 街角でぶらついているのをみて とても 惨めな思いで、 もと教員と家族を集め 子供達の将来への文盲の影響のついて 語りました。

集会の終わりに 教員の有志と 家族からの経済的支援を基にして 教育の再開に一致しました。 2000-1年に 1427人の生徒数で 開校し 翌年には その 2倍まで 生徒数が増えました。

次の障害を 政府が IRCまたはUNHCRなどの政府に関連しない団体(NGOs)によるコナクリー内の難民学校への資金援助を 廃止したことです。 

現在 コナクリー難民学校は 教員と家族による管理委員会によって まかなわれています。高校卒業生には 秘書や コンピューターの トレーニングを提供しています。20人の教員が 英語、  文学、フランス語、基礎科学、数学、生物学、化学、物理、政治、社会、農業、地理、歴史、経済、健康、コンピューター理論、宗教を 教えています。

2002年の初めに コナクリー難民学校は 初めてのリスペクト参加校となり アイザック氏は ギアナ共和国のリスペクト責任者につきました。

今日のコナクリー難民学校の最大の問題は 学校への経済的支援不足です。 多くの家族は 割り当てられた貢献が払えない状況です。

アイザック氏と関連者は ギアナ共和国内でのリベリア人の反乱軍の襲撃や ギアナ共和政府によるリベリア難民への刑罰を避けながら 学校の経営に苦労しています。

アイザック氏は 5年間のコナクリー難民学校での校長職の後 副校長であったアハジ カマラ氏に校長職を譲り、現在は 学校の資金集めに専念しています。

アイザック氏は 現在 オーストラリアに、ニューキャスル大学生として滞在し コナクリー難民学校への資金援助機関を探すとともに  オーストラリア内でのリスペクトの運動を広げることに努めています。

アイザック F. デービス氏のような有志たちによる難民学校と一般学校の間の交流の促進が リスペクト インターナショナルの夢を実現する起動力となります。 コナクリー難民学校が 常設の資金援助をみつけられるよう また 一人でも多くの難民学校の生徒たちに 明るい将来が訪れるよう 皆さんの協力をお願いします。

アイザック F. デービス氏は リベリアの首都、モンロビの出身で リベリアの市民戦争の発起後 ギアナ共和国で難民となった。

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